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200721月30日更新
明治・相生座 芝居小屋に大歌舞伎 『勘三郎が来る』はや熱狂
2006年5月1日 放送芸能面
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| ▲地歌舞伎ファンが全国から訪れる相生座=岐阜県瑞浪市日吉町で |
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| ▲1894年建築の明治座=岐阜県中津川市加子母で |
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地歌舞伎が盛んな岐阜県東濃地方の芝居小屋に七、九月、人気歌舞伎役者の十八代目中村勘三郎が襲名披露の一座を組んでやって来る。勘三郎の熱意で実った巡演だ。九カ所を巡る「全国芝居小屋公演」の一環で、打ち上げは名古屋初登場の「平成中村座」(九月二十四−二十七日)。“高根の花”がかかる小屋には、早くも問い合わせが殺到。また、初代勘三郎が出生したとの説がある名古屋市中村区での公演は“四世紀ぶりの里帰り興行”と話題も満載だ。(長谷義隆)
「すごい反響です。うちは小屋貸しなのでチケットは扱っていないのに、問い合わせが殺到して。困っています」
勘三郎襲名興行が九月二十三日に開かれることになった岐阜県瑞浪市日吉町の相生座。運営する小栗幸江さんは、応対に大わらわ。同座は経営母体のゴルフ場の従業員が歌舞伎保存会の座員となって、年二回定期公演している。小屋は一九七六(昭和五十一)年、東濃地方にあった二つの芝居小屋を合体させて建築。一流役者がそろう大歌舞伎は、こけら落としに市川猿之助一門が来演して以来三十年ぶり。
「来てくれてうれしい。小屋はただで貸しますよ」と声が弾む。
一方、七月二十三日公演が決まった同県中津川市加子母の明治座。大歌舞伎は初めてで「地元住民枠で昼夜三百枚を用意したが発表後、電話がすごい。枠を上積みしないと対応できない」と同市文化スポーツ部担当者。
明治座は一八九四(明治二十七)年建築の村芝居小屋。一九七二年に県重要民俗文化財になったのを機に、二十年間途絶えていた地芝居が息を吹き返した。
大歌舞伎の出張興行は八五年から香川県琴平町、金丸座の「四国こんぴら歌舞伎大芝居」で続いている。しかし、他の小屋では、身軽な舞踊公演はともかく本格的な歌舞伎公演は興行的に成り立ちにくく、普及しなかった。今回の巡演はこうした状況に風穴をあけ、ひいては各地の芝居小屋自体の活性化につながるものと期待がかかる。
東京都内で開かれた記者会見で、勘三郎は六県八カ所の芝居小屋での襲名披露実現にこぎつけたことに「前々からぜひ行きたいと思っていたところばかり。その土地の人にいい芝居をみせたい」と、喜びを語った。
初代出生説の名古屋・中村
高校に『平成中村座』
襲名披露巡演 『土地の人にいい芝居を』
体育館改装
実験的試み
名古屋初登場の平成中村座は、勘三郎家が江戸三座の座元だった由緒から「江戸の芝居小屋再現を」と仮設劇場上演を二〇〇〇年から東京で始め、これまで大阪、ニューヨークを含め五度上演。歌舞伎に新風を吹き込んだ。
「変わった場所でしたい」という勘三郎サイドの要望を受けて、主催の東海テレビが白羽の矢を立てたのが、名古屋市中村区稲葉地町の同朋高校体育館。
最大二千人収容の二階フロアを「数千万円かけて改装」(同テレビ文化事業部)。客席数千百人、花道付きの芝居小屋に変身させる。
同区は確証はないものの「初代が出たところ」(勘三郎)。江戸後期の松浦静山著「甲子夜話」などに出生説が紹介されていて、中村姓発祥の地といわれる。何でも利用するのが興行界。四世紀ぶりの“勘三郎里帰り公演”を当て込んだ。
昨年夏から会場交渉入り。同校は「世界無形文化遺産にも指定された本物の歌舞伎が、当校で上演されるのは初めて。教育機関として生徒・教員全員の鑑賞を条件に、引き受けた」(加藤秀幸事務長)。公演期間のうち平日の三日間は休校。夏休みの繰り上げなどで対処する。既に生徒の父母や卒業生がボランティアを申し出ているという。
勘三郎は「これは実験。このシステムがうまくいけば、ニューヨーク公演に行くのが楽なんですよ」と、名古屋方式が成功すれば、ゆくゆくは常設の中村座を東京・浅草に置き、そこから国内外に展開したいと夢を描いて見せた。
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演目と日程 昼夜入れ替えで「身替座禅」「義経千本桜」「口上」など同一演目。出演は勘三郎、扇雀、勘太郎、七之助ら。7月23日の明治座(5月16日前売り発売)と9月23日の相生座(6月初旬同)は、(電)052(241)8118=CBC事業部へ、9月24−27日の平成中村座の名古屋公演(6月24日発売予定)は、(電)052(954)1161=東海テレビ文化事業部へ。

この記事は「中日新聞多治見支局」のご協力を得て掲載しています
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